「こころ」は、だれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。
「思い」は見えないけれど、「思いやり」は、だれにでも見える。
その気持ちをカタチに
from CM via "AC JAPAN"
これは、詩人、宮沢章二さんの詩、『行為の意味』の一節だ。本文は以下のようである。
あなたの < こころ > はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも < こころ > は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに < こころ > はだれにも見えない
けれど < こころづかい > は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の < 思い > は見えない
けれど < 思いやり > はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
< 心 > も < 思い > も 初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ
via 宮沢章二
●東北太平洋沖地震
正直、今回の地震で、私の住む東京都23区は、3月11日の最初の揺れ以降、あまり大きな被害は出てない(今では関東で、死者50人以上という情報も入ってきているが)。もちろん、今回のような大きな揺れを経験したのは、小学校4年生に日本に来て以来、12年間で初めてのことであったのは事実。3月12日の早朝には、一時的に東京を震源とする地震も来るんじゃないかと心配した家族、と共に一時は近くの小学校の避難所にも避難した(避難所で数時間もしないうちに解散となった)。しかし、未だに、「大震災がもたらした悲しみが、今すぐ側で起きているのだ」という実感が薄い自分がいる。現実味が…あまりない。東京の被害が岩手・宮城・茨城などに比べて、大したことなかったからかもしれない。友人は今回起きた出来事が映画のように思えると言っていたが、私も同じことを感じているのかもしれない。二次災害で今起きている、原発の問題への懸念はまた別問題だ。それを除けば、ある意味、たんたんと生活をしている面は否めない。これから、家族4人揃っての晩御飯だ…。しかし、今この国にはそんなことがこれから先ずっと出来ない人がいる。家族を失い、我が子を失い、愛する人を失った人がいる。その現実とあまりにかけ離れた日常。このギャップを埋められるのは時間だけかもしれない。時間が経つにつれ、自分の中で実感が湧くかもしれない。現実味を帯びてくるのかもしれない。また、これは別の話だが、これまで個人的な理由もあって、他人の心配よりまず自分、ってことが長く続いた。そのことについては、初めての電子ブックを出版した時に、作者のコメント欄で少し触れている。
mixpaper
だから、自分の安全が確保されていれば、それ以上に、他人の心配をする余裕がないのかもしれない。そんな風に今は考えることが出来ないからかもしれない。これは、無理せずに思い続けることによって、自分の中で変化して行きそうな気がする。ともかく、現実的に今、東京にいる自分に出来ること、は、募金、節電、無駄に買いだめをしないくらいだ、なんてそう思っていた。
ただ、私の生活にも最近変化があった。それは、Twitterを始めたことや、ブログをようやく立ち上げたことにも関係している…。家に居ながら、初めは、地震の情報を集めるためにネット環境を利用していた。いつしか、それは被災者・避難者のために、励ましとなる、国内・海外からのメッセージを集める手段となり、それをブログ、Twitterで届けよう、広めようとていた。こうした背景には、自分の体調が少し安定して来たこともあるし、気軽にネットアクセス出来る環境、震災の前にもうTwitterを始め、そのうちに自分のブログも持ちたいなと、震災の前から考えていた、からだ。また、自分と同じ1人の都内の大学から、良い影響を受けたことも隠さずに話そう。
http://www.mocchiblog.com/
震災の二週間前から、僕は就職活動を止めるかどうか、迷っていた。それは一つに、体調との折り合いと、それから就職活動スタートの遅れが原因だった。そんな中で、TwitterやMixiで今年の初めに、偶然ネット上で知り合った1人の、起業を目指している大学生兼ウェブデザイナーの日記や、彼の写した写真やその他を、改めて見る機会があった。私は、彼の自由奔放な生き方に、心のどこかでその凄さを認めたくなく否定していた部分もありながら、勇気を貰ったのだ。就職がすべてではない。就職して、働くこと、そのために今就活に没頭することがすべてじゃない、とブログや日記を見て励まされたのだ。今思えば、自分のブログを持ちたいなって思ったのも彼のブログを見てからだった。就職活動の話について付け加えておくと、それから家族とよく話した結果、また再び始めることにした。暫定的な、とりあえずの選択ではあるが、今の自分には他の選択肢はない。今回の震災、原子炉のことが少し落ち着いたら、また始めようと思う。
自分に今何が出来るかを考える前に、私には、自分のことだけじゃなく、他人のことを気にかけ、本気で心配するプロセスに、時間が必要だったようだ。しかし、少しずつの前進だ。これからも、私は応援のメッセージを集め続け、発信し続けていくだろう。出来る限りの時間を割き、被災者・避難者たちへ何ができるのかを考え続けると思う。そして、「それは 人が人として生きることだ」、と思う。宮沢章二さんの詩にはそんな意味が込められていると思う。彼の残した詩から、たくさんの「勇気」をいただいたのだ。
感謝。
震災に会われた方々、二次災害で避難を余儀なくされている方々、
一日も早く事態が良くなることを祈っています。
そして、読んでくださった方々に感謝をこめて。
参考情報
こころは誰にもみえないけれど…こんな時こそ愛を
行為の意味「詩人・作詞家 宮澤章二さん」を語る(YouTube)
宮沢章二 プロフィール-あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]
ジングルベル-Wikipedia
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