今、愛知県の知多武豊にいる。すべては昨日(3月16日)、父に言われた一言から始まった。
「知っているように、いま日本の原子炉が危ない!中国に帰ったほうがいいかもしれない!!」
私が正午ぐらいに、ネット上で今回の震災に対する、海外から寄せられているコメント・ニュースを見ていた時、母に呼ばれた。自分(父)と母は仕事があるけど、弟と私の二人は東京から離れたほうがいい、と父から提案されたのだ。今思い返すと、その時、私は迷った。すぐに決断しなければならない状況だったけど、すぐには答えが出せなかった。…というよりも呆気に囚われた、と言ったほうが良いのかもしれない。連日のニュースで、福島第一原発発電所の問題・放射能漏れの危険性のことは周知だったし、特に、この関連情報について留意していた。それほど、重要な問題だったし、事態によっては、直接、生活に関わることだと、懸念していたのは事実。とはいえ、東京を離れることなど、全く考えてもいなかったからだ。もちろん、東京を離れてしまうと、これから再開しようとしていた就職活動が出来なくなり、また避難したとしても、では、いつまで避難していればいいのか、今の状況では見当がつかないという問題もあった。同時に、今家族がばらばらになることに、無性に不安を感じていたのかもしれない。なので、安易に動くことは出来なかった。
しかし、それとは別に、父にそう言われた時に、今思えば、何か違和感みたいなものを感じていた。自分が、東京から離れる。避難する。でも、今ようやく、被災者・避難者たちのために、何が出来るのかを、自分なりに感じ、まさに実行している最中であったから、その自分が避難!?逃げる!?それは「逃避」することに近かったのだ。私は、自分のしていることとの矛盾を、心のどこかで感じていたのだ。現に、被災者・避難者のために、関西から被災地に物資を運ぶ人がいる。ボランティアへ志願する人がいる。そこまで出来なくても、自分は今、ブログを通し、Twitterを通し、励ましのメッセージを発信することで、見てもらった震災・二次災害で不安を感じている大勢の人に、少しでも元気や勇気、希望を持ってもらいたかった。そうすることが、自分のためにもなっていた。何もせずにはいられなかった。出来ることをする。出来ることをしよう。そう思っていた。全く逆の提案を受け入れる自分がもし居るのなら、それは一種の裏切り行為であり、それに違和感を感じていたのだ。しかし、その時に、自分がやっと口にすることが出来た言葉、は、
「うん…。でも、お父さんたちも来てよ!お母さんも、もう仕事はいいよ!」
しかなかった…。私は父の話で、ようやく現実を直視したのかもしれない。自分の気持ちに気付いたのかもしれなかった。状況の悪化、先の見えない今。気付かずに、心では不安がすでに芽生え、日に日に大きくなっていたことを、今なら、少し冷静に振り返られる。それを打ち消すように、私は自分に出来ることを、探していたのかもしれない。しかし、その時、私に、自分の見つけた居場所に、居続けるために、それだけの意気込み、勇気なんて、持ち合わせていなかったのだ。安堵の地が見つかるのなら、すぐにでも尻尾を巻いて、逃げる準備が…、これは言い過ぎかもしれない。しかし、私は、今の自分のやっていることを、東京でやり続けるだけの理由を、心配する親に対して説得するだけの理由を、持っていなかった。これは、事実だ!「私は逃げた。」
●そして新たなる気付き
今、自分は東京を離れ、一時的に愛知に居る。実際、昨日の時点で、中国に帰国する成田発のチケットは、もう手配出来ない状態にあった。幸運にも母に愛知の友人がいて、私と弟は、しばらくの間、そこに居ることになった。東京を離れる時、事態の好転を祈りながらも、心の中では半信半疑だった。信じ切れずにいた。名古屋駅に着いた時、写真を撮る自分の手が、震えていたことを、よく覚えている。ようやく、自分の中に見えた何か…。
愛知は、想像していたよりずっと穏やかだった。ニュースを通した報道以外、町は平常通りに見えた。海も、とても綺麗だった。穏やかで、静かで、果てしなく広がっていた。愛知のおじさん、おばさんも、とても温かく迎え入れてくれた。生活は、一見平穏に見えた。そうは言っても、私の心の中は、複雑な思いでいっぱいだった。自分の選択は、果たして正しかったのか!?親を、東京に残したこと…。そんな心の叫びを、私はTwitterに漏らし、しかし、東京にいる友人からは、こう言われた!
「自分の事も出来ないで他人なんか助けられないからいいんじゃないの」
via @sulidami
その一文に救われた、というのは大げさだが、それを見た時、少し、気が楽になった。複雑な気持ちは、未だに変わらないが、自分は考えすぎていたのかもしれない。少し、気を楽にしたほうがいいのかもしれない、と感じた。緊張の糸が、張りつめ過ぎていたのかもしれない。ある意味、良い休日が取れた、程度に考えるべきかもしれない(父から、「あなたは、真面目すぎる」と言われたことを思い出す)。
しかし…、私は今、これだけは言える。日本中、そして、おそらく世界中、地球に住むすべての人、人類一人ひとりが、日本に注目している。日本を見守っている。日本の安否を気遣っている。日本に心を寄せている。日本を心配しながら、生活をしている。自分たちの生活を、これまでの日々通り送りながら、同時に日本で起きている、現実を直視し、その両方の現実の間で、大きく揺らめいている。その中で、ギャップを感じながらも生きているのだ、ということを。
名古屋に来て、周りを見て、実感している。この実感は、おそらく、より強くなって行くだろう。だから、私も、今、自分に出来ることを、その都度、その度、探し続けて行きたい。それには、終わりはない。そこからしか、未来は始まらない気がする。そう感じている。揺れ動く激動の中を、今、日本は駆け抜けている。それは、時に耐えがたいものだ。屈することもある。しかし…、私は、人は、諦めないと思う!少なくとも、今、日本の安否を気遣ってくれている、日本中・世界中の一人ひとりの思いは本物だ。その中で、私は、自分に出来ることをして行きたい。
名古屋に来て、周りを見て、実感している。この実感は、おそらく、より強くなって行くだろう。だから、私も、今、自分に出来ることを、その都度、その度、探し続けて行きたい。それには、終わりはない。そこからしか、未来は始まらない気がする。そう感じている。揺れ動く激動の中を、今、日本は駆け抜けている。それは、時に耐えがたいものだ。屈することもある。しかし…、私は、人は、諦めないと思う!少なくとも、今、日本の安否を気遣ってくれている、日本中・世界中の一人ひとりの思いは本物だ。その中で、私は、自分に出来ることをして行きたい。
こうも思った。「人は一人では生きていけない」とよく言われる。「人は生まれた瞬間から、人に迷惑をかけるものだ」とも良く言われる。「人は社会的(ポリス的)な動物である」とも言う。みんなは、繋がっているのだ!今日(こんにち)以上に、その繋がりを感じる日々はない。
最後に、わずかながら、旅先での思い出の写真を掲載した。
震災に会われた方々、二次災害で避難を余儀なくされている方々、
一日も早く事態が良くなることを祈っています。
さらに、今、福島第一原発で、命がけで作業に取り組んでいる、東京電力・自衛隊・警察・消防の方々の活動に、心より敬意を表したい。
日本の、早期復興を願っている。
そして、読んでくださった方々に感謝をこめて。
●写真
不安を抱えながらのホーム入り。母が一緒に着いて来てくれた。
旅立ちの切符 行きのみ
名古屋駅
初名古屋上陸。不安は、少しながら、わくわくに変わっていた!
名古屋のお家に着いてから、すぐに杏仁豆腐が振る舞われた。
ひんやりしていたけど、心(しん)はとても温まった…
初朝食
おにぎり、アップルパイ、イチゴ。特に、梅入りのおにぎりがとても美味しかった。
土手
おじさんが、ドライブで海に連れて行ってくれた。
空
苔
岩と雲
さざ波と影
白い灯台と海
潮の匂いを久しぶりに嗅いだ…
遠くに雪のかかった山が見えた
オードブルのサラダ仕立て 牡蠣とメカブの白ワイン蒸し
メイン料理 鶏もも肉のソテー 木の子クリームソース
デザート パリブレスト
海が見えるレストラン ビル
海岸と島
お団子
おやつにおばさんからお団子が。とても美味しかった。これも、おばさんの手作り。すごい!
鰤(ぶり)
お袋の味。
茶碗蒸し
お店で食べるレベル(笑)
参考情報
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